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【おすすめの詩】茨木のり子の恋人を大切に想う詩・5選

こんにちは!KOTO(@tokotoko_days)です。

 

大好きな詩家・茨木のり子さんの詩からは、凛とした女性像が浮かび上がってきます。

その一方で、情熱的で深い愛が感じられる詩もあって、その表現もまた好きです。

今回は、そんな恋愛の詩を5つ集めてみました。

茨木のり子の詩①「私のカメラ」

 

それは レンズ

 

まばたき

それは わたしの シャッター

 

髪でかこまれた

小さな 小さな 暗室もあって

 

だから わたし

カメラなんかぶらさげない

 

ごぞんじ?わたしのなかに

あなたのフィルムが沢山しまってあるのを

 

木漏れ陽のしたで笑うあなた

波を切る栗色の眩しいからだ

煙草に火をつける 子供のように眠る

蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ

 

世界にたったひとつ だあれも知らない

わたしのフィルム・ライブラリイ

(「おんなのことば」より)

 

茨木のり子の詩②「あほらしい唄」

 

この川べりであなたと

ビールを飲んだ だからここは好きな店

 

七月のきれいな晩だった

あなたの坐った椅子はあれ でも三人だった

 

小さな提灯がいくつもともり けむっていて

あなたは楽しい冗談をばらまいた

 

二人の時にはお説教ばかり

荒々しいことはなんにもしないで

 

でもわかるの わたしには

あなたの深いまなざしが

 

早くわたしの心に橋を架けて

別の誰かに架けられないうちに

 

わたし ためらわずに渡る

あなたのところへ

 

そうしたらもう後へ戻れない

跳ね橋のようにして

ゴッホの絵にあった

アルル地方の素朴で明るい跳ね橋!

 

娘は誘惑されなくちゃいけないの

それもあなたのようなひとから

(おんなのことば より)

 

茨木のり子の詩③「なれる」

 

おたがいに

なれるのは厭だな

親しさは

どんなに深くなってもいいけれど

 

三十三歳の頃 あなたはそう言い

二十五歳の頃 わたしはそれを聞いた

 

今まで誰からも教えられることなくきてしまった大切なもの

おもえばあればわたしたちの出発点であったかもしれない

 

狎れる 馴れる

慣れる 狃れる

昵れる 褻れる

どれもこれもなれなれしい漢字

 

そのあたりから人と人との関係は崩れてゆき

どれほど沢山の例を見ることになったでしょう

 

気づいた時にはもう遅い

愛にしかけられている怖い罠

 

おとし穴にはまってもがくこともなしに

歩いてこられたのはあなたのおかげです

 

親しさだけが沈殿し濃縮され

結晶の粒子は今もさらさらこぼれつづけています

(「女がひとり頬杖をついて」より)

 

茨木のり子の詩④「子供時代」

 

どんなふうに泣いたろう

 

どんなふうに奇声を発し

どんなふうにしんねりむっつりしていたか

 

その人の子供時代に思いを馳せるのは

すでに

好意をもったしるし

 

目ばかりでかい子だったろうな

さぞやポヤンでありましたろう

がさごそ ごきぶり おじゃま虫か

 

ほほえみながら

もっといっぱい聴きたくなるのは

好意以上のものの兆しはじめた証

 

あの時もそうだった

髭づらのむこうにわたしは視ていた

子供時代の蚊とんぼの顔を

 

かのときもそうだった

朦朧の嫗のとりとめなさにわたしは聴いていた

女童時代の甲高いお国なまりを

(「おんなのことば」より)

 

茨木のり子の詩⑤「泉」

 

わたしのなかで

咲いていた

ラベンダーのようなものは

みんなあなたにさしあげました

だからもう薫るものはなにひとつない

 

わたしのなかで

溢れていた

泉のようなものは

あなたが息絶えたとき いっぺんに噴き上げて

今はもう枯れ枯れ だからもう 涙一滴こぼれない

 

ふたたびお逢いできたとき

また薫るのでしょうか 五月の野のように

また溢れるのでしょうか ルルドの泉のように 

(「歳月」より)

 

さいごに

 

「いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまた、生けとし生きるものへの、いとおしみの感情を優しく誘いだしてもくれます。」

(茨木のり子著「詩のこころを読む」冒頭より)

 

KOTO
KOTO
ひとりの人間を深く愛したことのある人だけが書ける詩の数々。お互いにとってたった一人の相手と「なれる」ことなく会話を積み重ね、歳月を過ごせることほど贅沢な人生はないだろうなぁ・・・と思います(むずかしいからこそ  笑)